単福(たんぷく)

ギークへの敬意と、スーツのプライドと。

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

東日本大震災の被災地を見てきた。その2

さて、前回はあまりにも前置きが長くなって実際に目で見てきた石巻〜女川の様子を書く事ができませんでした。

続きを書こうと思います。

■仙台

生まれて初めての仙台。もの凄い都会でした。人が溢れていて被災地東北地方に来たという感覚には全くなりませんでした。金曜日に前泊して、翌日土曜日、昼過ぎに宮城交通の高速バスを利用して石巻に入ることにしました。石巻行きのバス亭には人がたくさん。これも予想していなかったです。震災から丸1年の節目を前に故郷に帰る人も多かったのかもしれません。


■石巻駅前

仙台からバスで約1時間半。石巻駅前で下車しました。

駅前でも震災の影響はほとんど伺えず、あれれ、来るところ間違えたかなと思いました。写真は石巻駅前です。宮城県出身の石ノ森章太郎のキャラクターがお出迎え。

石巻駅前


その後、どこに行ったらいいのか分からなかったので駅の横にある石巻環境協会の案内所に入って話を聞いてみることにした。レジにいたおばちゃんに話を聞くと、実はこの駅前にも1mくらい津波が押し寄せたとのこと。凄くびっくりした。そんな面影は全くないので。被害の大きかったのは南浜町で、駅から徒歩25分くらいだという。お礼を言ってそこに行ってみることにした。

外に出て、帰りの時間も考えると徒歩25分は厳しいなと思ったのでタクシーに乗り込む。


■タクシーの運転手さん

運転士さんは地元の出身で、50代半ばくらいかな。震災当日はちょうど仕事がお休みで家にいたらしい。直ぐに80代のお婆ちゃんと近くの学校に避難したけど、自宅は1階が水没。重度半壊という診断をされたという。ただ、家が残って、現在も住める状態なのでそれだけで天国のようだと言っていました。あと、生き残っても多くの人が職を失った中で、自分はこうして仕事を続けられるので相当幸せな方だと。

1ヶ月半ほど避難所生活をしたとのこと。最初の3日間は食料も情報もなくて辛かったそう。その後は全国から食料等の物資が入ってきた。避難所によっては人が多くて食料が全員に行き渡らずに不満の声が上がったけど、彼のいた避難所は十分に行き渡って不満の声はあまり出ていなかったとか。物資を送ってくれた製パン企業や駆けつけてくれた大学生のボランティアにも感謝していると言っていました。

震災直後、印象的だったのは町内放送の声で、普段の放送は聞きやすいゆっくりとしたものなのが、震災当日は津波が来る、急いで逃げろ、逃げろ、と怒鳴り声のような感じだったという。あまりに音が酷くて聞き取れなかったとも言っていた。あと、避難所には当初テレビもなくて情報があまりにも無かったと。どこで何が起きているのか全く分からなかったけど、人伝てで「○○が壊滅状態だ」とか「○○が孤立した」とかいう話を聞いていたとか。何が起こっているか分からない中での避難所暮らしは辛いだろうな、と思った。

とりあえず彼のタクシーを借り切って被害の多かったところを案内してもらうことにした。


■日和山公園

この公園は港を一望できる高台で、春には桜の名所で多くの人が訪れるらしい。震災当日は多くの人がここから流されて行く港町を見守ったそう。

あれれ、今日は混んでるな、という運転士さん。どうやら震災1周年を迎えることから1週間前くらいから来訪者が増えているらしい。それまではほとんど人が来てなかったと言っていた。

早速景色を見てびっくり。駅前の状況からは想像もできなかった壮絶な津波の爪あと。もう結構復興しているのかな、と思っていたのが甘かった。

写真 (10)

実は、今回の被災地訪問はあくまで自分の目で事実を確認し自分を見つめ直すことを目的としていたので、ちゃんとしたカメラは持って来ませんでした。観光客気分で写真を撮りまくることが現地の方々に失礼なんじゃないかという気もしていたから。ボランティアでなくあくまで自分探しの一環で訪れた事を負い目に感じていたというのもある。でも、運転士さんが「ね、カメラある?写真撮ってってよ」と言ってくれた。失礼かと思って携帯しか持ってこなかった旨を伝えると、運転士さん曰く「一人でも多くの人に見てほしいんだよ。どんなだったか忘れないでいてほしい」とのこと。なので撮ることにした。そして、そのおじさんとの約束なのでこのブログを書いている。

上の写真の右上にあるのが市立病院らしい。その右には信じられない数の水没した自動車の山。その周りには少し大きめであったり新し目の建物しか残っていない。「やっぱり日本の建物は凄いんだよ。だってこんなに残ってるからなー」と運転士さん。いや、ほとんど残ってないでしょ。。

津波の後は辺り一面残骸の山で、道もなくてどうしたらいいものかと思ったと。当時の様子を考えると鳥肌が立った。「でも元に戻そうとする気持ちってのはホントに凄いよ、お兄さん。こんだけ奇麗になったからねー」とのこと。

写ってないですが、もっと右に行くと大きな日本製紙石巻工場があります。ここはもう操業しているとのこと。一時この工場はもう使わないという話があったようですが、地元の人たちは大反対したそう。「これだけ被害が出た上に産業まで消えてしまったらもう復興はあり得ないでしょが」と運転士さん。確かに。これだけの工場なら相当な数の従業員が職を失うことになるだろうなとは思った。

続いて公園東側にある旧北上川。

旧北上川

中州にある白くて丸い風変わりな建物、これが石ノ森漫画館。駅前もそうだったけど、ここは石ノ森章太郎の漫画で町興ししてきたらしい。駅前にはマンガロードと呼ばれる道もある。津波はこの川を上り、漫画館がほぼ水没する程の水位があったらしい。この川を上って駅前まで水が達したものと思われる。

これが一望している牡鹿半島の地形図。

牡鹿半島地形図

ちょうど「東」の文字があるところ分かりますかね。半島と島の間の海が、震災時の「引き波」で一時海底が見えて地続きになったそうです。恐ろしい。。

全体を俯瞰した後、再びタクシーに乗って今見ていた地域へ下りることに。山を下って見えてくる景色はよりリアルに津波の恐ろしさを伝えます。人はちらほらいる程度。花や飲み物を供えて祈っている方もいました。

まず訪れたのが廃校状態の門脇小学校。ここで多くの子供が命を落としたとか。

廃校となった小学校

痛々しい爪あとが分かります。ちなみに、去年の大晦日には長渕剛が訪れて追悼ライブをしたらしい。

重機で作業

周りには本当に何もなくなっています。あるのは積み上がる瓦礫や自動車の山。

自動車の山

瓦礫の山

一通り見て回り、海岸線に沿って女川まで向かってくれることになりました。女川も被害が大きく、沢山の方が孤立してテレビでもたくさん取り上げられていた地域です。

女川に向かう一本道ですが、かなり地盤沈下したらしく、満潮時には水没する場所があるために1m近く嵩上げしているそう。「道の嵩も相当上がってっからー」という運転士さんの言っている意味が最初良く分からなかったけど、実際にガードレールの上が道路と同じ高さにある所があってようやく理解できた。。

道中で凄いものを発見。地元の有名な缶詰会社の工場にあったオブジェらしいです。こんなに大きなものが津波で200m以上流されてきたとか。なぜか動かさずにこのままになっている。

缶詰

あと、「津波って言うのはホント分からないもんでさ、すぐそこ海なのに全然水がこなかった地域もあんだよ」と教えてくれた地域は本当に全く被害がなくて、いや、地盤沈下は多少あるみたいなんだけど、普通に人がたくさんいて普通の生活をしていた。商店や飲食店も普通に営業。ほんの数kmしか離れていないのにこの差は一体何なんだと思う。


■女川

運転士さん曰く、女川は「それなりの町」だったとのこと。「それなり」というのは割りと栄えていたという意味らしい。「さすが女川はそれなりの町だったから復興が速かったよ」という説明だったのだけども、どこが復興しているのかよく分からなかった。聞いてみたら「これだけキレイに片付くのが速かったってことだよ」と。

女川入り口

ここも相当酷い状況だ。進むと、テレビで見覚えのある建物が見えてきた。女川の病院。その建っている場所の高さが分かるだろうか。

病院入り口

結構高いところにある病院。だけど、建物の1階部分、ちょうどグレーに見える部分は津波で水没した。信じられない水位だ。あの高台の駐車場に避難して海を望み、「よかった、助かった」とほっとしていた矢先、なんと病院の裏側(港とは反対側)から津波が襲ってきたと。それによって命を落とした人が何人もいたらしい。現場には献花されている。

下は病院の駐車場から海を見た景色。

駐車場から海

写真の右手には建物がキレイに横転しているのが分かりますかね。アップにしてみた。

横転建物

病院を裏手から離れて少し行ったところなんですが、これ(↓)何か分かりますか?

駅跡

実はここには駅があったそうです。線路は既に全く無くなり、あるのはこのコンクリートの物体のみ。これ、駅のホームの残骸らしいです。言われなきゃ全く分からないな。



この後、更に女川の大量の瓦礫を積み上げた場所を案内してもらってから再び石巻駅に戻りました。

時間的には1時間の貸し切りのはずだったのに運転士さんがサービスしてくれて、賞味2時間近くかけて回って説明してくれました。おかげで当時の状況がとてもよく分かった。

でも逆にいうと、一人で瓦礫の前に佇んで考え事に浸るということはできなかったのだけど、まあ、これはこれで良かったと思ってる。一人で現地を回るだけだと感じられなかったものもあるだろうし。

今回の石巻〜女川の訪問を通して、僕が何を考え、そしてこれからどう行動し、どう生きて行くのか、それはまた別の機会があれば。



では、サカリでした。



| 日記 | 21:59 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

東日本大震災の被災地を見てきた。その1

東日本大震災からちょうど1年が経ちました。

この節目のタイミングで、念願叶って昨日東北(宮城県)の被災地を直接見てくる機会を得ましたのでブログに残します。また、記憶を風化させないよう、震災当日にとった自分の行動も記しておきたいと思います。

■はじめに

東日本大震災は、僕個人としては初めて遭遇した大災害でした。この震災とその後に発生した福島第一原発事故が僕に与えた衝撃はかなりのもので、自分の人生、家族を守るということ、人々の優しさ・たくましさ、そして人の醜い部分をも考えるきっかけとなりました。

大災害に遭遇した・もの凄い衝撃を受けたといっても、震災を東京で経験した僕なんかは、東北地方の人々が直接的に受けた衝撃に比べれば全く大したことがないものだとは思いますが、それまでの人生を幸運にも災害を受けずに生きてきた自分にとっては忘れられない思い出となっています。

阪神・淡路大震災をはじめとした日本国中でこれまで起きている災害、世界的に見れば米国の9.11のような人の手による悲劇も、大きな衝撃と共に記憶に残っていることは事実です。しかし、やはり自分は傍観者でした。安全な自宅のリビングで、ただただ大変なことが起きた、と見守っていたに過ぎません。それにひきかえ、東日本大震災は、千葉県に住んで東京に勤める自分も傍観者ではいられないことが沢山おきました。

あの猛烈な津波の被災地を自分の目で直接見て焼き付けておきたいという想いはずっとありました。しかし、自分にはその勇気がありませんでした。復興支援ボランティアとして現地に行った人も多いでしょうが、これまで自分にはそういう行動ができなかった。その代わりというか、僕にもできる支援は何かと考えてきて、一つの答えは義援金でした。もちろん大した額ではなかったけど。それと、やはり僕はサラリーマンなんだから、しっかりと経済活動、つまり自分に与えられた会社の仕事をきっちりと動かすこと。間接的な貢献ではあってもね。

実は自分にできる事を考える中で、もう一つ動いているものがあって、それがプライベートプロジェクトとして進めているWebサービスの企画・開発です。1年経ってもまだ形にもなっていないけど。震災によって失われたものは人命や建築物や産業だけではなくて、なかなか表面に出てくることはないかもしれないけれど、人のアイデンティティもその一つではないかと考えています。写真やアルバムを失ったというのはそういうものの分かりやすい例かもしれません。人のアイデンティティを守るサービスを作るというのが、今の僕のもう一つのモチベーションです。


■震災当日

震災が起きた3月11日14時47分。僕は六本木ミッドタウン2階にある某ゲームメーカーの会議室でミーティングをしていました。タイミングもはっきり覚えていて、ディスカッションの中で僕が声を発しようとした瞬間に地震が発生しました。

当初、大きい地震だなーとは思いましたが、僕はわりと冷静で直ぐに収まるだろうと思ってミーティングを続けようとしました。でもその揺れの大きさとあまりの長さから相手の某ゲームプロデューサーから一旦会議を止めようという提案を受けた。会議室から出ると、受付のお姉さんやら他のお客さんやらも右往左往していて、みな天井あたりを気にしていた。その内しっかりと机の下に潜る人も出てきて、僕もしゃがんで同じように潜るような体勢をとった。正直に言って、小中学校の避難訓練でやった地震で机の下に潜るような行動は生まれて初めてでした。

それから心配になって両親やワイフに携帯で電話してみた。当然のように輻輳していて繋がらない。何度かけても繋がらなかったんだけど、何を思ったか、そういえば会議中に総務部の人から電話があったよなーと思ってその人にも電話してみた。なんとその電話だけは繋がって、相手からもびっくりされたw 冷静で事務的に僕もその相手も仕事の要件の話をして電話を切った。

会議を打ち切り、ミッドタウンから徒歩15分程のオフィスに戻ろうとした。六本木交差点から赤坂方向に向かう道すがら、地震の大きさを実感し始めた。大勢の人が外に出てきていたし、街灯が落ちて割れているところもあった。高速道路を見上げると、その照明が左右に揺れていた。歩きながらでも分かる余震があった。

オフィスビルに着くと、駅に続くビルの通路がびしょ濡れだった。後で知ったけど、火災消化用のシャワーが誤作動したらしい。どうやら皆もビルから避難したらしいことが分かって、年に数回やっている避難訓練の避難場所に行ったところ、皆に会えた。でもそこではまだ誰も起きた事の重大さが分かっていなかった。オフィスに戻ってテレビを付けるまでは。

オフィスに戻って、皆普通に仕事を再開していた。僕はやっぱり家族が心配でたまに電話をかけてたけどやっぱり繋がらなくて。そうこうしている内に、オフィスに3つくらいあるディスプレイにテレビが映された。そこで僕らは愕然とした。信じられない程大きな津波が街を飲み込む様子が中継されていたから。まだ普通に走っている自動車のすぐ手前まで津波が迫っているのがはっきりと見えた。というか、実は僕はそれが津波だと分かるまで時間を要した。だって津波なんて見た事なかったんだもの。よく地震があると「この地震による津波の心配はありません」という放送しか聞いた記憶がなくて、津波にリアリティを持ててなかった。津波がこんなに生き物のように田畑を走り、建物を飲み込み、破壊するものだと思っていなかった。

周りの皆も呆気にとられていたり、嘘みたいな光景だったので緊迫感のない人も沢山いた。僕は「おーー、逃げろ、逃げろ」と呟いたりしながらテレビに食い入った。本当に凄い事が起きたんだと思った。でも一方で、千葉県や東京の震度が分かったから、流石にこれなら実家もワイフも保育園に預けているドーターも無事だろうと安心したことを覚えている。不謹慎だが、千葉や東京じゃなくて良かったと思った。

それから、テレビの映像や被害状況を気にしながらも、少しだけ仕事をした。引き続き家族には電話をして、ようやくワイフに繋がったけど、忙しいからと切られた。会社のいろんなモノが倒れたので片付けが忙しかったらしい。実家には姉貴に繋がった。実家の家族は幼稚園を経営しているので対応が大変だったみたい。ドーターの保育園だけは何度電話をしても当日は最後まで繋がらなかった。ドーターは最終的にはワイフとお義母さんが車で迎えに行ってくれて無事に帰宅できた。安全確保のため園児は園舎には戻らず、保護者が迎えにくるまで園庭にずっと身を寄せ合って避難していたらしい。あの寒空の下で。

とりあえずワイフと実家が無事だったことが分かり、電車は全て運休していることも分かった。会社の大ボスは飯田橋の本社に緊急対策本部が出来たのでそこに行くといって出て行った。同僚は時間が経つと共に少しづつ自力で帰宅し始めた。みんな不安だったのか、できるだけ同じ方面の人は固まって帰るようになっていた。会社からは無理に帰宅しないような連絡が出て、遠方なので泊まる決意をして仕事を続けている人も沢山いた。遠方じゃないけど飲みに行くかー!と言ってる人もたくさんいた。実際に行ってた。

自分はどうしようかなーと悩んだんだけど、やっぱり家に帰ることにした。Google先生に聞いたら、六本木のオフィスから自宅までは30km、時間的には徒歩7時間らしい。凄く悩んだ。でも結局歩いて帰ることにした。今回の震災は自分達の生活エリアは大した影響がなかった。けど、もしも直下型地震が東京を襲ったらやはり自力で帰らなくてはいけない局面が来る。そういう意味で予行練習をしておこうと思った。あと、とてもドーターに会いたかったの。

ちょっと長くなり過ぎたのでここから端折ります。実際7時間歩きました。もう足が痛くて痛くて。あと、凄くお腹減ったけどどの店もやってないか、やっていても超満員で入る気にならず。何度も休みながらようやく自宅に帰ってきたら既に深夜3時半くらいでした。

後、その後はガソリンが手に入らないわ、コンビニやスーパーから食料が消えるわ、福島第一原発事故の恐怖に怯えるわで、震災の影響をもろに受けました。まさにこれらが僕の「被災」のかたちでした。東北にお住まいの方々とは苦労のレベルが違うでしょうが、確実に被災したのです。



長くなって疲れたので次回に続く。。。



では、サカリでした。



| 日記 | 17:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

語学留学してきた:ラングリッチの短期留学をお考えの方へ


新年の抱負に書いた通り、フィリピンへの超短期留学に行ってきました。自分の備忘とセブ島への短期留学を検討している人のためにメモを残しておこうと思います。とはいえ僕はほんの1週間でしたから、もっとディープな部分を知らずに帰ってきた可能性はあります。

■利用したサービス

セブ・ラングリッチカレッジ

オンライン英会話を運営しているラングリッチさんの留学コースです。ここの魅力は何といってもその値段です。本当に安い。


■期間

2012年01月08日〜01月14日(1週間)

ラングリッチカレッジのプランで一番短い1週間の留学をしました。でも正直言って1週間はおすすめしません。英語の習得を考えると1ヶ月程度は滞在するべきです。もったいなくて帰りたくなくなります。他の参加者も1ヶ月〜2ヶ月程度の人が多いみたいでした。


■セブ島へのアクセス

自分は成田からフィリピン航空の直行便を利用しました。他の航空会社を利用してもいいですが、格安で探すと日系の航空会社は選択肢から外れます。直行便の場合、行きが5時間程度、帰りが4時間半程度ということで、とても利用しやすいです。その他、韓国経由、マニラ経由等もあるみたいです。


■空港への出迎え

僕が到着した便は1.5時間程の遅れが出たのですが、ちゃんと現地の女性スタッフ(フィリピン人)が迎えに来てくれていました。当日到着したのは僕ともう一人の女性の2人だったんですが、名前が書いてあるボードが小さくて見つけるのに苦労しました。でも向こうも必死に探してくれていたみたいで好印象でした。そこから一般のタクシーを利用してラングリッチカレッジへ移動。タクシーの中でもスタッフの女性が簡単なガイドをしてくれたり、僕らの質問に丁寧に答えてくれました。


■入校

カレッジに着くと、入校の手続きのような特別なものはありませんでした。初日の夕食もきちんと用意してくれていて、それを頂いた後、宿泊する部屋のキーを渡されます。

僕が入校したタイミングは丁度日本人スタッフが正月休み(?)でいなかったので現地スタッフはちょっと混乱しているようでした。この日は僕らの他にも何人か入校者がいたので、とりあえず空いている部屋に次々に入れていたみたい。結果、翌日には入居者の部屋の大移動がありました。


■建物

建物は20階立てくらいのドミトリーです。1階にレッスンを受けるカレッジがあり、宿泊する部屋はその建物の中の一部屋になります。建物の入り口には常に警備員が1名〜2名いるので安心です。住んでいるのはフィリピン人と東洋系がメインで、若干名の白人もいるようでした。お世辞にもキレイな建物とは言えませんが、ドミトリー周辺の建物を見た後では相当立派に見えます。


■周辺

近所には現地の学校があったりするエリアでおそらく安全なエリアです。近くに24時間営業のコンビニがあって便利でした。コンビニの横にはパン屋もあって、日本では馴染みのないパンばかりですが、安くてまあまあ美味しいです。その他にも少し歩けば果物や焼き鳥の売店があります。どれも信じられないくらい安いし美味しいです。コンビニの近くにレストランもいくつかあります。


■部屋

ここは超格安留学だということを念頭に置く必要があります。贅沢なことは言えません。

まず第一に思ったことは、汚い。でもここは怒るところではありません。当然と思うべきです。

初日に1泊した部屋はトイレ・シャワー・キッチン等が他の入校者と共有の部屋だったのですが、シャワーが壊れていました。そのため長旅で疲れていた&セブ島の蒸し暑さでたくさん汗をかいていたにも関わらず、その日はシャワーを浴びることができませんでした。これが一番つらかった。でも、フィリピン人スタッフが本当に申し訳なさそうに謝っていてこれも決して腹立たしい気持ちにはなりませんでした。だって格安だし。(なお、翌日には約束通り修理されていました)

さて、僕は1人部屋をチョイスしたのですが、2人部屋という選択肢もあります。個人的には1人部屋をお勧めします。というのも、せっかく語学留学に来ているのだから予習・復習の際には声を出して英文を読みたいと思うからです。でも2人部屋も楽しそうでした。

あと、問題があります。人間以外の生き物との共存です。下に挙げる生物が極端に苦手だったり潔癖な方には耐えられないかもしれません。(でも女性も結構入校していたので割りと皆大丈夫なのかも。)

 ・アリ
   ⇒部屋中に大量にいます。少しでも甘いものを置いておくと
    おびただしい数のアリが群がってきます。食べ残しや飲み終わった
    ビンや缶はかならず水洗いしてゴミ箱に捨てるか、冷蔵庫の中に
    しまうのが正解です。
 ・ゴキブリ
   ⇒滅多に出ませんが、1回出ました。他の部屋での目撃例もあります
    ので、1回は遭遇することを覚悟しておくべきです。ちなみに、
    撃退するスプレー等は常備されていません。
 ・トカゲ
   ⇒かわいいです。僕の部屋に1回出現しました。他の部屋でも目撃例
    があります。害はなく、かわいいです。

なお、一部屋にベッドは2つ(2人部屋としても使えるように)、水道(飲めない)、シャワー、トイレ、洗面台、勉強机と椅子(ライトあり)、テレビ、DVDプレイヤー、ウォーターサーバ、冷蔵庫、エアコン、クローゼット(ハンガーあり)があります。タオルはありませんので持っていくのを忘れないようにして下さい。部屋はわりと快適です。部屋でネット接続ができず不便でしたが、滞在3日目くらいにWi-Fiが開通しました。まだ繋がらない部屋もあるみたいですが、これは改善する準備をしているとのことなので、今後留学される方は問題なく部屋でネット接続できるかもしれません。


■参加者

12〜3人くらいいました。でも時期によって変動します。男性・女性とも半々くらいです。学生と転職するのでその合間に来たという社会人が多いみたいです。年齢は33歳の僕が最年長者でした。社会人に関して言うと、僕が聞いた限りでは僕と同様ネット系の人が多いみたいです。思いがけずうちの会社と近い某大手SNS2社の内定者もいました。不思議なご縁が嬉しい感じでした。

なお、長期間滞在する方は是非後から入ってくる生徒に親切にしてあげましょう。僕も初日に元々いた人たちに色々教えてもらって凄く助かりました。本当に親切な若者ばかりでした。初日は特に不安でいっぱいなので大変ありがたいです。


■1日のスケジュール

フィリピン人教師とのマンツーマンレッスン:1日6時間

6時間の場合、スケジュールは下記の通り
 08:00〜09:00 : 朝食
 09:00〜10:55 : マンツーマンレッスン1
 11:00〜11:55 : マンツーマンレッスン2
 12:00〜13:00 : 昼食
 13:00〜13:55 : マンツーマンレッスン3
 14:00〜15:55 : マンツーマンレッスン4
 18:00〜19:00 : 夕食

8時間コースの場合は更に夕食前に2時間のレッスンがあります。僕はヘタレなのと首に問題があり長時間座っているのが辛かったので6時間/日コースにしましたが、8時間/日コースを選択している人も結構いました。せっかくセブまで来ているので少し大変でしょうが8時間コースをお勧めします。その他、マンツーマン以外にもグループレッスンを受けることもできるみたいです。どうすれば受けられるのか聞くチャンスがなかったけど。

あと、初日のAMはガイダンス、レベルチェック、教科書等の選定があります。僕は1週間の超短期だったのでスタッフさんが考慮してくれて割りとすぐにレッスンに移りました。

でも実はその日からレッスン開始の生徒が多かったので先生の数が足りず、僕以外の当日初日の生徒は午前中のレッスンを受けられなかったみたいです。こういうところは運営側のお粗末さがあります。ただ、その後交渉した人は土曜日に補習を入れてもらえたみたいです。実は僕も初日午前中の1時間分レッスンを受けられなかったのですが、そこに関してはフォローはありませんでした。


■先生

基本的にキレイなアメリカ英語を話すフィリピン人が先生です。先生の年齢は大学生〜20代後半までという感じ。とても親切で人なつこい人ばかりでリラックスして授業を受けることができます。普段はオンラインの方で先生をしている人もいましたので、帰国後に気に入った先生から引き続きレッスンを受けることもできそう。

ただ、やはり先生によって多少の癖はあります。僕は特に不満な先生はいませんでしたが、先生を変えてほしいという生徒は若干いました。あと、先生によっては頻繁に飲み物取ってくるとか言ってレッスンルームの外に行ってしまうことがあります。こういう隙を与えない方法を考えることもありですし、敢えて触れずに自分の僅かな休憩にすることもありだと思います。

その他、先生によっては自分で作ったお菓子を持ってきてくれたり、フィリピン料理のクッキングクラスを週1回やったりしている人もいました。あと、レッスンの中で話題になったフィリピンのお菓子を調達してくれたり。基本的に先生達は凄くフレンドリーで優しいです。


■テキスト/レッスン

発音、リスニング、スピーキング等の教材から自分の目的に適したものを選んで利用します。複数のテキストを利用するのが普通みたいです。僕は短期間だったので総合的なテキストを選びました。基本的にはテキストのトピックを読んでその発音をチェックしてもらい、トピックの理解を試されたり、その内容に対して自分の考えを説明したり、先生とディスカッションをするテキストでした。

ただ、テキストを使わずに自分でエッセイを書いてその内容を添削してもらいつつその内容をディスカッションするという独自方式を編み出している人もいて、やり方は本当に人それぞれです。先生も生徒の希望に従って柔軟に対応してくれます。

僕は1冊目(vol.1)のテキストが全部終わった後にvol.2に進みたかったのに、何故かvol.2がなくてvol.3を使わざるを得なくなったことは不満でした。あと、テキストによってはコピーが薄くて読めなかったりしました。ここは改善を期待したいです。


■自習

自習は必須です。僕もレッスン以外に毎日2時間程度は勉強していました。多い人だと4時間という方もいました。予習をしておくとレッスンのクオリティがかなり上がります。自分の部屋で自習することもできますし、地下1階の食堂(Wi-Fiあり)が22時くらいまでりようできますので、そこで勉強をしてもいいです。


■アフターレッスン

自由です。歩いていける距離にアラヤモールがあるのでそこでショッピングをしてもいいですし、少し遠出してセブの観光地を巡ることも出来ると思います。タクシーも安いのでガイドブックに載っている人気レストランに行くのも余裕です。あと、近所にスパ、タイ式マッサージが計4店あることを確認しました。セブのスパは1時間のオイルマッサージが200〜300ペソ(400〜600円くらい)くらいと激安なので大変オススメです。僕は1週間しかいませんでしたが、オイルマッサージに2回行きました。

あと、人によっては先生達と一緒に飯を食いに行ったりしていました。ただ、ラングリッチは基本的に先生との外出を禁止していて、生徒側からお願いして運営側から許可を貰った場合だけ許してもらえるみたいです。そういうところはキチンとしていますね。


■食事

ラングリッチの現地スタッフ(フィリピン人)が毎日3食用意してくれます。基本的に和食です。まー、ここも激安プランなのであんまり期待はしない方がいいです。非常に質素な感じで、また、味も微妙な感じです。味付けが気に入らなければ醤油や塩が常備してあるのでそれを使って調整します。味はともあれ、3食の心配がないのはありがたいことです。もちろん食事を全て外食にすることも可能です。その場合は事前に食堂の食事が必要な人リストに「/(スラッシュ=食事いらないという意味)」を記入しておきます。


■週末

週末は基本的に授業がないみたいです。僕は残念ながら1週間の滞在だったので経験できませんでしたが。。僕の帰国する週末にはセブ島の最大のお祭りがあるとのことで、どの先生に話をしてももったいないと言われましたorz。基本的に自由なので各々好きな事をして過ごすみたいです。


■帰国

僕はマクタン・セブ空港の朝8時の便だったので、夜のうちに退寮の手続き(保証金の返金)を受けて朝は一人で空港に向かいました。心配だったので朝4時にドミトリーを出て空港に着いたのがちょうど4時半。思ったより更に早く着いてしまって少し困ったw。こんな時間でも普通にタクシーは捕まりました。ちなみにスタッフさんにお願いをすればタクシーを呼んでおいてくれると思いますが、余計なコストがかかるのでオススメしないと言われました。実際すぐにタクシーは捕まえられたのでスタッフさんの言う通りでした。

無事に空港には着いたものの、現地で空港オープンが5時半ということを知って約1時間ベンチで待つことになりました。実は出発が朝早いので先に空港に行って空港で夜を明かそうか悩んだんですが、この場合は5時半〜6時くらいに着くように空港に向かうのが正解のようです。後は普通に出国の手続きをするだけです。


■最後に

さて、だいたいこの留学のサマリレポートはこんな感じです。僕みたいな怠け者でも日々のレッスン+予習・復習で毎日8時間は英語漬けになれました。自分としては、またチャンスがあれば参加したいなと思える満足度でした。あと、帰国後もオンラインで学習を続けたいと思っています。



では、サカリでした。








| 日記 | 18:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

あけおめ(年頭の抱負です。)


皆様、あけましておめでとうございます。

2011年は社会の大きなうねりを感じた一年でしたね。

2011年は僕にとっては社会人10年目。第4四半期がまだ残っていますが、個人的にはひとつの大きな区切りだと考えています。

10年間1つの会社に留まり、何を成し、何を成せなかったのか。冷静に振り返り、そしてその上で自分は何を成したいのか。この年始にゆっくりと考えたいと思っています。

「組織」と「個」の関係は大きく変わり始めました。特に僕らのいるIT/ネット業界ではその変化が顕著であるように感じます。個はより組織から精神的に独立してきています。能力がある者がより大きなチャンスを掴む環境も整ってきました。そのため本当に自分がやりたい事は何なのかを考え、行動を起こす人が急増しているように感じるのは僕だけではないと思います。

その一方で自分はどうだったのか。

少なくとも何かを変えたいと思っています。社会人経験10年という区切りのタイミングで、自分が何を選択するのか。

選択肢は広がったのか、狭まったのか。狭まっている感覚は正直いうとあまりありません。年齢としても33歳ですから本来は狭まっているのかもしれません。でも、年々自分ができることは広がってきているように感じます。これも「個」としての意識の変化かもしれません。


少なくともいまどうしても一歩を踏み出さなくてはならないのは、月並みですが「語学」です。

モバイルインターネット業界では、既に国内/国外の区別は意味を成さないレベルにまで透明化してきているように感じます。実力のあるプレイヤーはほぼ例外なく世界を見ています。僕も本業で海外のプレイヤーと話をすることが圧倒的に増えました。もちろんコミュニケーションは英語です。彼らの言っていることを正確に理解してあげたいし、僕らの言いたいことも理解してもらいたい。どうしても英語が必要です。会社の僕のチームは基本的にチーム内のメールは英語を使うことにしていますから、前よりは英語に触れる機会は増えましたが、まだまだです。

そういう経緯もあり、1月8日から1週間の超短期ではありますが語学留学にいってきます。いや留学というか合宿というか、、フィリピンの語学学校で英語漬けになってきます。語学合宿は国内にもありますが、自分とじっくり向き合うために敢えて海外研修を選びました。

英語が全てではないですが、英語がある程度できれば更に自分の選ぶべき選択肢が広がることは確実だと思います。


まとまりませんが、1月1日の年頭の抱負を述べておきます。それは「4月くらいまでに選択肢を洗い出す」ということでしょうか。その先は、まだ分かりません。

今の自分には一つも満足していませんし、会社にうっすら期待していた部分も昨年完全に捨てました。

チャレンジは続きますが、今年も皆さん宜しくお願い申し上げます。



では、サカリでした。




| 日記 | 17:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

2011年下半期:AR事業化に向けた動きまとめ


さて、昨日で一応2011年内の営業活動は終了しましたので、毎年恒例の「今年の実績まとめ」を書いておこうと思います。なお、年末に1年分をまとめるのがとても大変なので上半期分は既に7月に公開済みです。

上半期分はこちら↓
2011年上半期:AR事業化に向けた動きまとめ

ということで、下半期分のまとめ。

■手のひら認識ARアプリ「てのりん」が初音ミクを配信。

6月末に開始した「てのりん」ですが、8月1日から公約通り「初音ミク」さんの配信を開始しました。モデルデータ、楽曲、モーションいずれもクリエイターの方々にご提供いただきました。こちらはある程度のご好評を頂けたと考えています。

初音ミクさんに関していうと、今年は快進撃の年でしたね。一部の層から絶大な支持を得ているキャラクターでしたが、もうそういう枠に限られない日本を代表するコンテンツとして成立していて素晴らしいです。そういうコンテンツとコラボさせて頂けたことは大変ありがたいことです。

■仏Total Immersion社との提携

こちらは既に他のエントリで書いていますので細かい事は省略しますが、1年近く交渉してきた提携の話が纏まりました。本年9月に発表させて頂きました。

これまで協業ビジネスに関してはそこそこキャリアがある方だと自負していますが、やはり海外企業との提携交渉は色んな意味で大変でしたね。言語の壁はもちろん感じましたし、文化の壁もやはり僅かではありますが感じるところがありました。とはいえ、フランス人というのは何となくイメージしていた「お高くとまっている」イメージとは全く違って、とても人なつこくて誠実で、日本人とは相性がいいように感じました。

■「かりん」の新モデル(MMD対応モデル化)と配布

「かりん」というのは手のひらARアプリ内のオリジナルキャラクター。元々は手のひらAR技術を分かりやすく説明するデモ用に制作されたキャラクターです。このキャラクターをMMD対応モデル化して一般配布を開始しました。KDDIではキャラクターを作ることに対してとてもハードルが高いですから、よく実現できたものだなーと思います。しかもMMDとかやり過ぎw。

MMD対応モデルを出したということ、つまり「てのりん」がMMDモデルに対応したということです。これは、これまでプロ/アマ問わず作成されたMMD関連資産を活用できるということで、「てのりん」としては当然の進化ではありました。これからコンテンツを増やしていきたいと思います。

■ピアプロ連携「初音ミクオリジナルコスチュームコンテスト」

上述のてのりんMMD対応と同時に発表したのがピアプロにおける初音ミクさんオリジナルコスチュームコンテストの開始です。つい先日募集を締め切ったのですが、想像以上にクオリティの高い作品を多数応募頂きました。現在担当者内で入選作品の選定をさせて頂いています。入選作品は「あの」有名モデラーさんに3D化してもらえますので楽しみにお待ち下さい。また、そのモデルは「てのりん」内での配信も行います。

■セカイカメラZOOM、セカイファインダーの終了

こちらは前回のエントリに書きました。所謂フィーチャーフォンにおける敗北宣言です。

こちら↓
今年はARで初めての敗北宣言をした。

■新ブランド「SATCH」の開始

こちらも別エントリで想いを述べていますのでご覧下さい。

こちら↓
ARの新ブランドはじめました。「僕○○よろしくね。」

現在僕らは来年ARにおいてどういうサービスや打ち出しをしていく必要があるか真剣に考えています。コラボレーションできる案件をお持ちの方は是非ご遠慮なくお声掛けいただけると嬉しいです。ARの魅力を伝える、またはコンテンツとリアルを繋げる、そういうプロジェクトをKDDIはどんどん支援させて頂きたいと考えています。

また、来年3月(予定)には新ARブラウザ「SATCH Viewer」をリリースしたいと考えています。こちらの仕様Fixを本当に急がないといけない状況なんですが、手が回らない…。


■2011年(仕事編)を振り返って

SATCHの準備に入ってからステルスモードに入ったので、下半期はあんまり書く事ないかなーと思っていましたが、書いてみると色々ありますね。一重に協力してくれた関係者の皆様とARチームメンバーの皆のおかげだと思っています。

実は12月からARチームは組織変更で担当人数を減らされています。これから盛りだくさんになろうという状況で心底頭に来ましたが、どうにか持ちこたえていくつもりです。

また、ARチームでいうと、昨年提携した頓智ドットさんとの協業事業を別のチームに譲りました。というか僕のチームの担当業務から剥がされてしまいました。頓智ドットさんとは2009年末の提携交渉の開始から出資・業務提携と、ずっと一心同体くらいの気持ちで事業を進めてきました。なのでとても残念です。頓智ドットさんは先日経営体制の変更もアナウンスし、大きく変わろうとしています。その行く先を(事業パートナーとはいえ)当事者の一人として歩んでいけないことはとても悲しいです。

こういう業務分掌の変更もあるんだよね、というのを改めて思い出しましたし、やっぱり会社を信用しきってはダメだということも思い出しました。2012年は僕の本来のビジネススタイルを取り戻す年となりそうです。僕は根に持つタイプです。

さてそんな恨み節は置いておいて、個人的には8月からKDDI ∞ラボのメンターをやらせてもらったり、ARチームとしてもこれまで書いてきた通り実績面ではわりと充実した1年でした。2012年も走っていきたいと思います。

プライベート編はまた別途。


では、サカリでした。


| 日記 | 11:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT